日課の散歩に出かけるとさまざまな発見がある。
基本的に家にいることの多い私。でも春は出かけたくなってウズウズする。外に出るまではめんどくさいな、と思っていたりもするのだけれど、一度出てみると様々な刺激がある。
最近気になっているのはすずめ。春だからか、活発になってきている気がする。砂浴びをしていたり、仲間と囀りあっていたり、なんとも可愛らしい。
すずめたちをみていて聖書の言葉が思い浮かんだ。
マタイによる福音書/ 10章 29節(口語訳)
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。
しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
これらの聖句を読むたびに、自分よりも大きな存在である神様がいて、いつも見守っていてくださるんだなあと思う。それと同時にすずめのように生きられたらどんなにかいいかとも思う。空を自由に飛んで、好きなだけ日向ぼっこして、そこら辺の植物や虫を食べて暮らす。水が欲しければ川辺や水たまりに行き、暗くなる前にみんながいる木へ帰って寝る。
楽しそう(^ ^)
でも、それと同時に疑問も湧いた。確かに蒔くことも刈ることもしないけれども、食べ物はどう確保するのだろう。その日暮らしだから、必ずしも食糧が得られるとは限らない。病気や怪我、事故に遭うことだってあるだろう。なんて言ったって自然で暮らしていればいつも危険と隣り合わせということだ。自然の脅威が直で襲ってっくる。天敵だっているかも知れない。昔は人間だってすずめを食べていたらしいし(焼き鳥屋にすずめというメニューがあるというのを聞いたことがある、今もどこかにあるのかな)。
すずめが何を食べるのか気になったので調べてみた。
「植物ではイネ科やキク科、タデ科の種子類を主に、動物性では昆虫の幼虫、または成虫でも小さめのものを食べる」みたいだ。
「人との生活に密接に関わっている野鳥で、市街地で多く見かけられる。営巣(巣を作ること)は電柱の隙間や建物の隙間などにすることもある」とのことだ。
いろいろ工夫しているんだな。
蒔くことも刈ることもしない、その代わりにその日その日をサバイブしていて、さまざまな脅威とも戦っている。なんてすごいんだすずめ。そしてその命も神様によって常に見られていて、いつまで生きるかも定められている。
砂浴びして気持ち良さそう、とかのほほんと見ていたが、あれだって与えられた知恵から、本能から寄生虫対策としてやっているのかも知れないし(←必死)。
「隣の芝生は青い」のだと感じた今日この頃でした。